[コンサート・ライブ記録] / [音楽]

【コンサート記録】8月3日(土)「Prélude…」ご来場大感謝!楽器で「歌う」ことについて。

8月3日(土)ULA×Hayata. Duo Concert vol.2 “Prélude…”

無事終演いたしました。

 

まずは、ご来場いただきました皆様と、

演奏会開催にあたりご尽力いただきました全ての皆様に心より御礼申し上げます!!

本当にありがとうございました。

 

食べきれないほどたくさんのお土産をいただいてしまいました😭感謝〜〜!

 

 

当日は撮影を行なっておりましたので、ツイキャスにてアーカイブ配信ができるよう現在編集作業中です。

お盆中とかにでも配信スタートできたら良いなあ・・・という気持ち。

 

配信で初めて見てくださる方もいらっしゃると思うのでネタバレは避けますが、

全体的に昨年よりも良い演奏ができたのではないかな、と思っております。

昨年は個人的に笛の調子が絶不調でしたから・・・今思えば完全なスランプです😅

 

 

今回のプログラムは、ほぼフランスもの縛り!!

フルートとピアノで演奏会プログラムを考えるとき、どうしてもフランスものが多くなってしまいがちです。

なぜなら、フルートの曲はドイツ語圏や英語圏の作品よりも、圧倒的にフランス作品が多いから。

パリの音楽学校での試験やコンクールなどのために作曲された曲がたくさんあって、

それらはフルートを勉強する上では欠かせないレパートリーの大部分を占めています。

「ブラームス(ドイツの作曲家)がフルート・ソナタを書いてくれていたら・・・🥺」というのは笛吹きの間では鉄板の妄想ネタ。

 

フルートを吹くにあたってフランス作品は避けて通れないにも関わらず、個人的には演奏することが大の苦手です。

洒落た雰囲気、ロマンチックなハーモニー、流麗な旋律。もちろん聴く分には大好物なのですが、

自分が演奏するとどうしても若干身構えてしまうところからスタートしてしまいがち。

私の演奏に愛や色気を求めないでくれ・・・・!!!という気持ちでいます(笑)

 

ですが、YouTubeに牧神をUPしたところからでしょうか、

はたまた、歌を歌う方々と一緒にやる機会が増えたからでしょうか。

フレーズを長く長く捉えて、文章を紡ぐように歌うことが楽しくなってきた自分がいました。

 

 

中学生とか高校生の頃の私は、部活の先生に「もっと歌って!!」と言われてしまうことが悩みでもありました。

自分ではめちゃくちゃ歌っているつもりなのに「もっと」ってどういうこと??

どうして私の演奏だと「歌」に聞こえないんだろう??

 

楽器で「歌う」というのは、単純にブレスの回数を少なくすることではありません。

何回息継ぎをしたって、きちんとフレーズを長く捉えて歌っているように聞こえる演奏はたくさんあります。

逆に、息継ぎは少なくても、歌っているように聞こえない演奏というのもあります。

ピアノやヴァイオリンやハープ、ギターなど、息を直接的には使わない楽器でも歌っているか否かは分かるのではないでしょうか。

 

では「歌う」とは具体的にどういうことなのでしょう。

 

「歌え〜〜!!」は未だにレッスンなどで言われることもあり、まだまだその答えを模索しています。

きっと、一生の課題なのだと思っています。

 

 

現時点で私が個人的に思うのは、

①音と音のつながりをいかに濃くするか(技術的・物理的な側面)

②ブレスをする前から、ゴールまでの設計図があるかどうか(意識的な側面)

③耳で一瞬先の未来が予知できているかどうか(哲学的な側面。笑)

この3つが大事なのではないかなということです。

 

 

①音と音のつながりというのは、簡単なようで実はものすごく難しい技術を要します。

例えばフルートで中音域のドからレに移るためには、左手小指と、楽器の支えになっている右手の親指を除き、

残り8本の指が全て入れ替わります。キイをおさえていた指はキイから離し、キイに触れていなかった指でキイをおさえます。

この時に、指がバラバラに動いてしまうとそれだけでドとレの間に別の音が混ざりかねません。

 

また、これだけ運指が変わるので、楽器の響きやすさも全く異なります。

リコーダーの指穴を全部塞いだ状況と、左手だけの運指で音の出しやすさが異なる現象と同じです。

2つの音を均等に響かせるためには、少し工夫が必要になります。

 

他にも、ヴィブラートが音と音の間で止まってしまわないようにするとか、

響き、音色、発音など、たった2音でも考えることは山ほどあるのです。

おそらく中高生の時の私に一番足りていなかったのは①の技術とこれをもっと高めるための意識だったのではないかなと今では思います。

 

 

②と③は少し内容が似ていますが、②は意識の問題です。

今出している音だけじゃなくて、必ずゴールを見据えてから吹き始める。

フルートはただでさえ息を捨てながら音を出している楽器ですので(笑)、息の量が足りなくなってしまいやすいです。

途中にクレッシェンドやディミニュエンドなどがある場合はそれも計算しなくてはなりません。

実際に思ったより息が吸えなかった場合などは臨機応変に対応する必要もあります。

(今回のコンサートでは久しぶりに編み上げドレスを着たのですが、キツく締め上げすぎて前半は呼吸困難でした笑)

ちょっと数学的な?脳みその使い方かもしれないです。

どうしても現在起こっている事柄にばかり目が向いてしまいやすいのですが、

何事も最終設計図を一旦頭に思い描く、

想定外なことが起きても落ち着いて逆算して軌道修正を図る、というのは大事なことだと思います。

文章を朗読する時とかと一緒ですね。一文の長さや句読点の位置に目星をつけておく、あの感覚です。

 

 

 

③は、個人的に哲学の領域だと思っていますが、

私たちは今鳴っている音を聴いているのはもちろんのこと、

 

0.1秒先の音を常に予測して “聴いて” います・・・・!

 

 

え、未来の音を聴くってどういう意味。謎。と思われるかもしれませんが、

本当に聴いているし聞こえているのです😂物理的には不可能かもしれないのであえて「哲学」としました。笑

逆にいうと、0.1秒先に鳴るであろう音をちゃんと聴けていないと思った通りの音楽にはならなくて、

ミスや事故につながりやすい・・・あくまで当社比です。

そしてこの哲学こそが生演奏の醍醐味だと思っています。

これは不思議なことに、ヘッドホンを通すと耳の感覚が鈍るので、配信や録音の作業ではあんまりしていません。

だから配信ではピキョピキョと細かいミスが多い・・・ゲフンゲフン。

 

耳って本当に繊細で、なんとお伝えしたら証明できるのかよく分かりませんが、

特に弦楽器奏者の方とかは弓で弾き始める前から、弦をおさえている方の指がヴィブラートの動きをしていたり、

おさえる位置を目視せずとも正確な音程をイメージしたりっていうのが見ているだけでも伝わることがあります。

あれらがまさに先々の音を既に聴いていることの表れだと思うのですが、どんな器楽奏者も同じようなことをやっています。

そんな、生演奏の哲学が「歌うこと」につながるのではないか、という話でした。

 

 

 

・・・・演奏会を振り返るつもりがめちゃくちゃ脱線してしまいました。

ずっとコンプレックスだった、楽器で「歌うこと」へのヒントが得られたような、

そんな演奏会だったという話で今回のブログは一旦締めたいと思います。

ツイキャスアーカイブ配信をどうぞお楽しみに🎵

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